First Love 初恋(Netflix)が、理想のセンスのど真ん中過ぎた。私にとって今世紀最高のドラマ出現。

宇多田ヒカルが、自身最初のアルバム First Love をリリースしたのは、1999年3月10日だ。自分の人生と照らし合わせると、おそらく高校の卒業式があった日だと思われる。その前年に宇多田ヒカルは、鮮烈なデビューを果たしていた。本当にセンセーショナルだった。私も多分に漏れず、そのアルバムを持っていた。おそらくその頃からCDをリッピングし、MP3プレーヤーで携帯するスタイルが一般化していったと記憶しているが、今ブログを書いているこのMacの中にも、当時のCDからリッピングしたアルバムのMP3データが入っている。このデータは、20年以上様々なPCやMac、プレーヤーを行き来したとてつもなく私には意味のあるデータだ。当時、私はイヤホンでの再生はもちろんのこと、本体をそのまま車のカセットデッキに差し込み、中のMP3を再生できるという、なんとも変わり種のプレーヤーをもっていたことを思い出した!
寒竹ゆり監督のセンスがどんぴしゃで胸のど真ん中に突き刺さった
寒竹ゆり監督の存在は、このドラマを見るまでは全然知らなかった。映画学科出身で、岩井俊二監督に師事していたことがあるらしい。岩井俊二監督の映画は、何本か見たことがあるが、どれも独特でそれなりのクセはあるが、なんとも言えない美しい映像は好みだった。
一方で、寒竹ゆり監督の撮った作品を見たのはこれが初めてだったが、冒頭から美しいインスタレーション作品を見ているようで、一気に引き込まれた。寒竹監督と同じように、私も90年代後半から2000年代前半に多感な時期を過ごした一人だから感じることができる。その時代のアートやファッション、音楽などのカルチャーが、寒竹監督によって昇華され、現代のエッセンスを持って生み出され、この作品の暖かく美しい表現となった。この作品を見ていると、なんというか、山歩きで例えるなら、霧に包まれた美しい雑木林の中にいるような気分になる。私があの時代、理想としていたセンスのど真ん中に静かに突き刺さった。
人生はジグソーパズル、作品の構成もジグソーパズルだ。
物語が進むにつれ、だんだんと作品の輪郭が浮かび上がり、監督の手法、この作品のお作法が分かってくる。時代が前後して最初は掴みづらいけど、登場人物の関係性が頭に入ってくると、少しずつピースがはまっていく。1話冒頭で「人生はまるでジグソーパズルのようだ・・・」と語りが入るが、作品本体もジグソーパズル(一度分解して色んなピースをどんどんはめていく)な手法で構成されている。この手法がクセになる。時代もバラバラに進むため、どこからピースが埋まっていくか分からないから、先が気になって、最後まで一気見したい気持ちが高まる。他にも、実は冒頭で語られている「失くした切符」や「12月のワンピース」、「自分の名を乗せた火星探査」なんかも、全て物語の要所々々で登場する場面なので、まだ一度もドラマを見ていないという方は、注目して見てほしい。
細やかな演出、色使いなど小さな仕掛けを探すのも楽しい
也英の誕生日は、宇多田ヒカルがAutomaticでデビューをした日だ。この作品では、あえて色使いを統一して見せることで、映像の美しさを特に印象づけている。なぜか同じ画面内で登場人物が水色ばかり来ていたり、晴道の家族が全員赤い服だったりする。
色についての解説は、この方のレビューが相当詳しく書いてあるので、参照してみてください。
キャスティングも良き。この出演者あってのこの作品だと思う。
満島ひかりさんは、本当に唯一無二の素敵な女優さんだと思う。あの雰囲気は絶対他の人では代わりにならない。佐藤健くんは、一見すごいキザなんだけど、そういう雰囲気をすごい自然体で演じられる人だと思う。若手二人も良かった。八木莉可子さんは、去年、パリピ孔明のドラマで、主人公のライバルユニットの一人を演じていたのが記憶にあった。今回のドラマでは、若い頃の也英なのだけれども、ものすごくピュアで、裏表のないキャラクターに彼女がぴったりとはまっていた。対して、木戸大聖くん、目が優しくて、でもどこか定まらない感じで、思春期の、不安定だけれど体の内側から溢れてくるエナジーを、一生懸命舵を定めて進んでいく晴道をうまく演じていた。今年の夏頃に公開されていた劇場アニメ「きみの色」で、クールだけど情熱的なルイというキャラクターの声を演じたのも彼なのだとわかり、頭の中で繋がったらなんだか嬉しくなった。その他にも、浜田岳さん、荒木飛羽さん、アオイヤマダさん、小泉今日子さん、向井理さんなど好みの俳優さんがたくさん出演していて最高だった。
同じ時代を過ごしたすべての人に見てほしい
このドラマで描かれた1990年代〜2000年代頃、つまるところの平成時代というのは、いろんなものがどんどん効率化されてく”過程”の時代だったと思う。ネットやスマホも普及途上だったからこそ、そこまで洗練されてなくて、デジタルなのだけれど味があった。アナログ文化もまだ程よく共存していた。私が学生の頃、携帯電話は2Gが主流で、個人的にはNOKIAのDP-154EXという個性的なデザインの機種を使っていた。現代のLINEの代わりに、ショートメールも存在したが、家に帰れば、PCからチャットをつないで夜な夜な友人たちと雑談していたあの時代。窓辺に腰掛けて晴道と電話する也英。今ほどデジタル文化が洗練されすぎていないからこそ感じられた独特の空気感を一気に思い出させてくれた。
ドラマの中で、その時代のキーアイテムとして描かれていたのが、SONYのCDウォークマンだ。也英と晴道が片耳づつイヤホンをつける。付き合った二人がキスをする美しいシーンが印象的だった。また、ドラマ終盤では、也英の息子の綴がそのCDウォークマンの電源をもう一度入れたことで、止まっていた運命の歯車が動き出す。そしてやがてそれは、綴と詩ちゃんの時代へと続いていく。そんな美しい現代もまぁ悪くはない。平成時代は面白かった、令和もきっと面白くなる。
最後に
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。本当に個人的な感想やドラマを見たことによって溢れ出た思いをつらつらと書きました。
この作品がさらに多くの方の目に触れ、たくさんの感動を生みますように。